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そうだったか?何かの雑誌で読んだ気がしていたのだが・・・すまんっす。
昨日「再見」と書いたのですが、私は、この別れの言葉が「再度逢うことを前提にしている心情」が、良いな~と思っているのです。
でもよく考えたら、再度逢うまでの時間や期待、もう二度と逢わないかもしれない予想なども含めて、日本語では違った表現をすることもあるのですが、中国の方でも、そんな時間や関係差などがあるのでしょうか?
私が、30年ほど前に北京で、中国の人と筆談したりした時に、時間スケールの違いなどを痛感したのですが、当然時間に対する概念の違いなども、言語の中に現れるのではないかと思うのです。
だから、日本語での言語イメージだけで表層を解釈して、中国社会を想像すると間違えるよ、言語の相関関係のズレは、ちゃんと差し引きして、さらに誤差の衣を着せてから、考えなきゃまずいよと思っているのです。
日本語と中国語の心的背景の差に加え、近年の変化も、言語だけでなく、音楽や美術、人々の生活形態(食生活、睡眠、性生活など・・・)に現れるはずです。
現代中国社会の時間概念の変化(経済スピードや空間距離の短縮、人間関係の変容)は、若い人たちや表現者の言語の中に垣間見られるのではないかとも・・・・
あぁ、そんなことの返答、簡単に説明できないよな。
分かっちゃいるけど、時間のあるときに、要点のみでお願いします。
またもミハラからの無理難題・・・・相変わらずやろ。
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